理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

内申点という魔物②―すべては内申点のため―

第1回コラムでは、内申点(調査書)が公立高校受験で無視できない存在であることを述べました。今回は、内申点評価制度が公立中学校の生活に及ぼす影響について綴っていきます。

 

 

■普遍的な学力の向上よりも定期テスト対策こそが生命線

 

前回のコラムで既述の通り、9教科5段階(45点満点)の評価の大半は定期テストによって決まります。定期テストは授業で行った内容を基に作成されます。作成者である担当教諭の授業方針が反映されやすいため、生徒は担当教諭の授業内容を聞き漏らしてはいけません。加えて、担当教諭が作成してきた前年度までの“過去問”を分析して対策と傾向を練ることが重要となります。しかし、一生徒に過去問を効率よく集める術はありません(部活の先輩に顔が広いなら別ですが)。

 

そこで、その役割を買って出るのが街の学習塾です。「定期テスト対策」だとか、「○○中学 S・N君中間テスト450点!」だとか書かれた張り紙が塾の入り口に大々的に貼られているのを見たことがあると思います。学習塾では、在籍生徒から提出された定期テストの問題と解答をデータとして蓄積しています。塾の講師陣は中学校毎に分析をして、出題のクセを在籍生徒に指南するわけです。20年ほど前に私もこの業務に携わっていた経験があるのですが、ある中学校の数学の問題が前年度、前々年度とうり二つ!(いや、同じだ!)で少々引いてしまいました。(昨今の先生方は丁寧に作成されていますよね…。)

 

街の学習塾にとって定期テスト対策は、塾の評判を左右するメイン業務となります。生徒たちにとっても学習塾に通う理由は、教科への興味や探究心を深めるためではなく、定期テストを効率良く乗り越えるためにあります。定期テストの点数は前述の通り内申点へ直結するからです。

 

数学を例にとってみましょう。塾や学校の授業において、数学が金融工学やものづくりなどを支え社会を変革できる学問であると、生徒が気づく日は来るのでしょうか。数学の本質的な楽しさを発見し我こそは数学オリンピックに出場しようとか大学で数学を研究しようとか息巻く生徒が如何ほど現れるのでしょうか。定期テスト内申点が眼前に立ちはだかる壁である以上、あくまでも数学は内申点のためにこなすべき一教科にすぎません。

 

 

■得意や興味を研ぎ澄ますより平均的であれ

 

内申点のためにこなすべき教科となっている実態は数学に限った話ではありません。主要5教科から音楽や美術などの実技4教科まで万遍なくテスト対策をこなさなければなりません。一見すると数学や英語の方が実技科目よりも重要度が高い気がします。しかし、内申点評価では数学も美術も同じ1~5点の評価がつけられる点に変わりありません。

 

顕著な例として東京都立高校入試の制度を見てみましょう。都立高校の内申点評価では実技科目4教科の内申点が2倍されることから、実技4教科の対策にも手を抜けません。(主要5教科(5×5=25点)+実技4教科(5×4×2=40点)=総合計65点 となります)もっとも、当日の筆記入試は主要5科目ですから、やはり英語や数学を勉強しなければなりませんが。

 

どんな人にも向き不向きや得意不得意があります。夢中になれるものと出会い得意なものを伸ばすことは、自信とアイデンティティを確立させ、未来を切り拓く原動力となるはずです。もちろん、土台となる基礎学力を身につける必要はあります。しかし、公立学校の世界では、秀でた才能や興味を伸ばすことよりもすべての科目を卒なくこなせる力の方が重視されます。

 

 

■部活動は刷り込まれた義務となる

 

文科省学習指導要領では部活動は教育課程外と位置付けられており、中学校学習指導要領の総則に「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、…(中略)…学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。…」と明記されています。

 

ところが、授業よりも中学生活の中心的存在となっているのが部活動です。中学入学と同時に何かしらの部活動に所属を迫られます。(近年では所属が絶対的強制ではない学校もありますが、多くの中学では所属しないという選択肢を選びづらいのが実情です。)

 

小学生までは夢中になれるもの探しのために数々の習い事を詰めてきたはずなのに、中学からは部活動が既定路線となってしまいます。これは、学校だけでなく保護者も子どもも固定概念に囚われている不思議です。もっとも「中学部活待ってました!」と部活動を主体的に夢中になって取り組んでいる生徒にとっては、部活動は素晴らしい経験と成長に繋がる場となるでしょう。

 

問題なのは、本当はやりたくないのだけれど部活動という既定路線を踏襲しなければいけないのだと刷り込まれている子どもたちです。刷り込まれる理由はどこにあるのでしょうか。一つは、部活動での実績は調査書の“特別活動等の記録の得点”につながる実情にあります。もう一つは、部活動を継続して頑張ることは協調性や忍耐という“求められている正解”なのだ、という潜在的な意識にあります。実際、途中退部や休みがちである生徒は一貫性がないとしてマイナス評価を受ける場合があります。

 

周囲と足並みを揃えることに注心し、自分の本当の気持ちを抑え(または気づかず)、義務として生徒たちが部活動を行っているならば、それは本末転倒です。そこにスポーツ(または文化的活動)を楽しむという視点はなくなるでしょう。全体主義的な行動規範と厳しい練習が要求され、勝利こそが部活動の成果であるという考えが蔓延ります。

 

 

■生徒会・委員会活動は傀儡化する

 

調査書の“特別活動等の記録の得点”には部活動のほかに生徒会や委員会活動も算定されます。先生から見た印象値を上げ、調査書の得点を稼ぐためという不純な理由から生徒会を買って出る生徒がいてもおかしくはありません。

 

そもそも中学校において自主性が高い生徒会活動は多くありません。校則を見直そうだとか、文化祭に新企画を取り入れようだとか立案して先生と話し合うなんて活動はあまり聞かれません(そんなことしたら逆に評価が下がるかも)。中学校の生徒会活動は先生が下絵を描いた内容に沿って行われるのが一般的です。生徒会役員=”優等生”のイメージが強いのもこのためです。

 

 

中学生は、子どもっぽさが抜け、大人の世界が垣間見れる多感な時期にいます。先のことも、将来の夢も分からなくてもいい。夢中になれるものや興味の幅を広げられるものと出会い、10代前半の時期を自信と希望が抱ける時間に充ててほしい。勉学でも課外活動でも学校生活でも、生徒がその本質的な楽しさや可能性に気付くことなく、目先の内申点だけを見て3年間を過ごすとすれば、それは人生の損失です。

 

 

第3回コラムでは内申点制度がそれでも導入される意義と公立高校入試について考えていきます。

 

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