理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

自由研究のコツ

梅雨明けが記録的に早く、逆走台風と少々熱すぎる夏が到来。子どもたちは夏休み真っ只中です。夏休みといえば、海に山にお祭りと楽しいことが盛りだくさんの一方、水を差すのが作業的?な宿題の数々。中でも多くの親子を苦悩させる宿題が、昔も今も…ご存知“自由研究”です。

 

この自由というのに微妙に自由でもない宿題の展示会を以前、とある街に見に行ったことがあります。小中学生が提出した自由研究の作品や資料の展示がずらりと並んでいます。私が小中学生だった昭和の時代とは違い、インターネットやスマホも駆使されており、作品の完成度は格段に向上していました。都心の画材店で買ってきたような特大の模造紙に画像を貼り付けたもの。まるで高校や大学の理科ノートのような構成がされた文章がぎっしりと書き綴られたもの。「えぇ~小学2年生ですか…ほぉ~。」わが子の可愛さあまって、夢中になるお父さん、お母さん方の姿が目に浮かびます(失礼!)。そういえば、昔の教え子に毎年夏が来ると我が子置き去り気味?に気合が入りまくるお父様がいらっしゃいました。まぁ、それはご愛嬌というか親子の夏の思い出でもあり、OK!OK!と微笑ましく思います。

 

しかし、その反面やはりというか、気になることがあるのです。それは、研究テーマがネット上で氾濫しているものばかりということなのです。しかも、圧倒的に“皆様ご存知の理科実験”系が多い。面白楽し理科実験のネタはネットに溢れ、マニアな方々がご丁寧に動画までアップしておられるご時世です。簡単な実験キットなら巷で手に入りやすいですしね。引用先が豊富にあり完成度は高くなりました。しかし、どうも独創性に欠けるものが多いのです。

 

子どもたちは自由研究の宿題を“こなす”視点に囚われ、「自由研究らしい定番、自由研究=理科」と型にはまったテーマを追ってしまうもの。結果、インターネットやハウツー本からどこかで見たような理科実験をなぞらえ、同じようなまとめに終着してしまいます。心から素直に発した自分だけの疑問、これこそが研究テーマの種になるのです。言い換えると、理科とか社会とか教科の枠にこだわらず、生活の中で疑問に感じること気になることは、なんでも研究テーマになりえます。そうは言っても、「身の回りで疑問に感じること、気になることなんて特にない」なんて子どもたちから反論されそうです。ええ、確かにそうなんです。普段から物事を注視したり、観察したりする習慣が乏しい子どもたちにとってはハードルが高く感じられるでしょう。算数でも国語でも決められた分野を機械的に解く勉強に慣れすぎた子どもたちは、勉強は教科書の中にだけあるものと誤解しているかもしれません。

 

勉強とは考えるためのツールとなる知識を蓄え、考えることによって好奇心と探求心を育み、内面の世界を広げること。目の前にあるものを何でもないものとしてスルーするか、それともその些細な変化に気づいたり、興味をもてるかは、好奇心と探求心にあるのです。自由研究は、人と違ってもいい。自分だけの着眼点と疑問を普段の勉強法に縛られない方法で調べていくと勉強の本質が見えてきますよ。