理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

内申点という魔物

内申点という魔物⑨―中学高校の多様な枠組みを目指す時代へ―

シリーズコラム「内申点という魔物」の最終回は、多感な思春期の6年間が中学と高校の2つの枠組みに分離される公立学校の制度を見直してみます。3年ごとに入試に追われるよりも一貫した時間を生徒に与えることの方が教育的価値は大きいと考えます。その理由…

内申点という魔物⑧―高校入試は要らない!?―

内申評価制度がもたらす中学教育について考えてきたコラム「内申点という魔物」 第8回はこれからの高校入試と内申評価制度の在り方ついて論じていきます。 ■入試問題の多様な在り方を模索する時 “高校入試は要らない!?”とは、極論のように聞こえるかもしれ…

内申点という魔物⑦―思春期が将来の礎となるには―

内申評価が中学3年間とその後に及ぼす影響についてこれまで綴ってきました。第7回のコラムでは、中学3年間が思春期の子供たちに与える時間的価値とそのあるべき姿について考えていきます。 ■公立中学3年間は公立高校進学の準備期間なのか 公立中学3年間には…

内申点という魔物⑥―“頭のいい子”の落とし穴―

第4回・第5回コラムでは、内申点という限定的な学力の物差しが、子どもたちを学力別カテゴリーに振り分け、学力の優劣意識を刷り込む弊害について取り上げてきました。この年齢期に優秀な成績を残せなかった生徒が、劣等意識を打ち砕けば、能力を開花させら…

内申点という魔物⑤―公立高校ヒエラルキーと呪縛―

連載コラム「内申点という魔物」第5回は、内申点が生み出す学力階層(ヒエラルキー)とは何なのか、また、そのヒエラルキーの中で子どもたちがどのような意識を刷り込まれるのかについて綴っていきます。 ■公立高校ヒエラルキーとステータス どの地域でも公…

内申点という魔物④―“頭のいい子・悪い子”は思い込み―

中学生になって受ける校内一斉の定期テストは、学力面における相対的な自己の位置づけを初めてつまびらかにする機会です。第4回コラムでは、定期テストやそれに基づく内申評価が思春期の子供たちの内面に及ぼす影響を考えていきます。 ■内申評価が作り出す“…

内申点という魔物③―それでも内申評価制度があるわけ―

第2回コラムでは、内申点評価を軸として送られる中学生活の弊害について述べました。古今東西を問わず、なぜ内申点評価が公立高校入試に幅を利かせ続けるのか。内申点について考えるシリーズ第3回は、内申点評価制度が公立高校入試に果たす役割について述べ…

内申点という魔物②―すべては内申点のため―

第1回コラムでは、内申点(調査書)が公立高校受験で無視できない存在であることを述べました。今回は、内申点評価制度が公立中学校の生活に及ぼす影響について綴っていきます。 ■普遍的な学力の向上よりも定期テスト対策こそが生命線 前回のコラムで既述の…

内申点という魔物①―評価の仕組みとその実態―

「内申点の意味するものは何だろう?」 高校入試で私が中学の先生とバトルしたあの頃からずっと胸につかえてきたことです。 ■学校評価制度の新たな動き 先日、文科省中教審の有識者ワーキンググループが「学校現場での評価の在り方」について従来の評価方法…