理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

最近の教科書事情

小学英語教育の必須化、プログラミングの導入、大学入試制度の改革などなど、平成の終わりの教育スローガンは賑やかしい。しかし、第一線にいる子どもや先生たちの教育事情は、私が小中学生だった30~40年前と比較して大きく変化しているのでしょうか。メディアが侃々諤々している上記の教育施策はさておき、今どきの教科書はどうなっているのだろう?と思い、息子の国語の教科書を開いてみました。

 

まず、でかい。B5判です。こんなに大きかったかな?昔はA5判だったような。それから、カラフルでイラストや写真も豊富。私のころはモノトーンで文字ばかりの地味な記憶しかない。(授業が退屈だったからそう思い込んでいるだけなのか)

 

一方、見た目の変化よりも大きいのが中身の変化。グループトークの仕方、聞き手になるポイント、手紙の書き方のテーマが取り入れられており、“誰に何をどのように伝えるか”を考えさせる構成となっています。中でも時代の進化を感じたのが、一目で伝わる情報として日常に溢れる記号や標識が取り上げられていることです。私が好きになれなかった詩やら俳句やらぼやっとした物語も相変わらず定番のようですが、(失礼!編集委員の方のお考えがあってのこと、個人的見解です。)国語本来の“伝える視点”が以前よりも盛り込まれていると感じました。

 

SNS全盛時代で育つ子どもたちは、短い言葉のやり取りに慣れすぎて、行間を読み取ること、正確に伝えることが極めて不得手です。相手が何を言わんとしているか、自分が発した言葉が相手にどのように受けとられるか、考えないままに言葉をやりとりすると言葉だけが発言者の意図を離れて独り歩きしてしまいます。言葉は受けるときも発するときも考えるもの。考えないやりとりに脳が慣れることで、コミュニケーションに必要な想像力が育たなくなります。こうした現代の国語問題を編集委員の方も危惧されているのでしょうか。日常のよくある会話シーンを4コマ漫画にして「きちんとつたえるためにどう表現すればよかったか」を考えさせるページがありました。

 

例えば、こんな場面。自宅2階の部屋で勉強をしていたひろし君に1階にいる母親から「ちょっとおいで」と声がかかる。勉強のきりのいいところでひろし君が1階に降りると母親の姿はなく、ひろし君のおやつに用意したと思われるアイスクリームが溶けていた。チャンチャン。という4コマ漫画。ひろし君と母親はどのように言葉を交わすべきだったのかという問題です。うむ、お互いの状況について考えが及ばす、言葉足らずが引き起こした悲劇?ということでしょう。

 

しかし、“おかん”という昭和の生き物は時として不可解かつ自己中心的な言動をするものです。私の子ども時代にもありましたよ、似たようなことが。2階にいると「お茶入れるけど、熱いのがいい?冷たいのがいい?」と1階から声を掛けられ、「冷たいの!」と答えると「もう熱いの入れたわ」との返事。「じゃあ聞くなよ(怒)」ってイライラしたものです。

 

少々本題とずれましたが、おかんは家事に追われて忙しいのです。何も手伝わない息子君のために上げ膳据え膳のようなきめ細かい対応を決してしません。「ちょっとおいで」と呼ばれれば、すぐに1階に降りること。“おかん”は次の家事の場所へすぐに移動してしまいます。その証拠に1階に降りた時には“おかん”はいませんでしたよね。アイスクリームを用意してもらっただけありがたいと思いなさい。つまり、この場合は、「自分のおやつくらい自分で用意しましょう」というのが正解かなという結論に至りました。

 

編集委員の方、本当にすみません…。

 

 

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