理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

教育の理想を追求した偉人―夏旅第1回―

毎週のように発生する台風が20、21号と数を重ねるごとに、秋の足音が近づいて来るようです。夏が過ぎ去っていくことに後ろ髪をひかれる想いの今日この頃。私にとって夏の醍醐味は旅と遊び。照りつける日差し、五月蠅い蝉の声、郷愁誘う蜩の音色、旅の途中で味わう水物の清涼感…夏の旅は楽しい記憶をいつまでも脳裏にとどめてくれます。今年の夏は、十数年ぶりに鈍行列車の旅に出かけてきました。夏の未練たらたらに、夏旅で見たこと感じたことを綴っていきます。

 

 

 

夏旅第1回は、松本市にある旧開智学校です。旧開智学校とは明治の学制発布を受けて、新たな時代の幕開けを教育にかけた松本の人々の情熱と献金により誕生した擬洋風建築の小学校です。現在は、当時の学校建築様式そのままに明治大正期の小学校教育に纏わる展示がされています。そこで見つけたある偉人の言葉。

 

 

『もし小学校で此の自学自習がよく行はれて児童に自学自習する力と、其の精神習慣が養成されたなら、中等教育や高等教育は別に学校を設けず、生徒が自学自習していけばよい。もとより自学自習のために図書館とか博物館とか実験室とかの設備は入るであらうが、今日の所謂学校は入り用でなくなる。・・・・・かかる時代が来ないに限らない。否その来ることを希望せねばならぬ。』

 

ちょっと言い回しがレトロですね。平たく言うと、『小学校(旧制)の内に自ら学び学習する力とその習慣が身につけば、中学(旧制)や高校(旧制)に通い学ぶ必要はなく、生徒が自ら学び学習できる。そのためには、図書館や博物館や実験室のような学習施設は必要となるが、いわゆる学校は不要となる。・・・・・このような時代が来ないとは限らない。いや、このような時代が来ることを希望しようではないか。』

 

この言葉は、松本出身で東京帝国大学を卒業後、文部省官吏として明治期の近代教育確立に尽力した澤柳政太郎氏が書き残したものです。澤柳政太郎氏は官僚引退後、大正自由教育を掲げた成城小学校(現在の成城学園小学校)を創立したことでも知られています。

 

 

江戸の寺子屋式教育から欧米列強に倣った近代教育の枠組みを確立させることに明治政府が躍起になっていた時代です。澤柳氏が斬新かつ自由な教育観を持ち得ていたと同時に教育の本質を看破していたことに感心するばかりです。平成の文科官僚は…。今話題になっている文部科学省元局長のあの方を思わず思い浮かべてしまいました。

 

 

澤柳氏から100年以上経った現代の教育事情はどう進化してきたのでしょうか。6・3・3・4の学校制度は常識となりました。学びの選択肢は多様化しているように見えます。夢や目標を具現化するために志をもてば、比較的容易に学ぶことができるようになりました。一方で、日本人は帰属意識が強く、帰属することに安心し、やがてその集団にステータスの優劣を感じるようになりがちです。先人たちが苦労して設立した学校で学ぶことを忘れ、学校に在籍することが目的となってしまっては本末転倒です。教育は子どもを社会の中で個として自立させ、内面を豊かにし、社会に貢献できる大人に育てること。どんな学校に通っていたか(いるか)ではなく、何を学んできたか(いるか)に学びの本質があります。学校は一定の学びの場を提供してくれますが、学びの場は学校だけではありません。自戒も含め、学ぶことに貪欲であること、探求心と行動力を持ち続けることを日々心掛けたいものです。

 

 

 

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