理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

教育の変わらぬ土壌―夏旅第2回―

夏旅第2回も引き続き、松本の旧開智学校編です。15年くらい前までは松本に何かと縁があってよく足を運んでいました。久しぶりの松本で感じた変化は、松本城への観光客が爆発的に増加したこと、電柱も地中化され繩手通や本町通など城下町の街並みが歩きやすく整備されたことです。東にまるっとした形の王が頭、西に北アルプス穂高連峰をのぞむ松本の街。街中には豊かな湧き水の井戸が点在します。湧き水とこれば、蕎麦とわさび。普段は絶対に行列に加わらないひねくれものの私が2時間近くも一皿の蕎麦を待ちました。他にも五一ワインや開運堂の真味糖など松本名物は事欠かないのですが、今回初めて出会った隠れた特産物が『くらかけ豆』なるもの。写真を撮っておけば良かったのですが、あっという間にビールのお供に消えてしまいました。くらかけ豆は地元でも収穫量が少なく、市場にあまり流通しないのだとか。気になる人は調べてください。

 

 

そうだ、旧開智学校の話でした。今回気になった展示がこちら。『開智学校 季節ごとの過ごし方について(明治時代の指導)』。学校から児童に向けた月毎の過ごし方についてのお便りです。現在の学年だより的なものかと思います。一部を抜粋してみましょう。

 

  

 

『5月…多少暑くなって日に焼けるようになる。最近は化粧品が多くなってきたが、自然美を大事にするようにしたい。また、色白でいたいという国民的旧習を打破し、男女ともに体格美を賞賛する気風を養いたい。女児の中には、朝、日が昇らないうちに日よけのための洋傘を持って登校する者もいる。こうした傘の使用を禁じて、大いに肌を黒くするべきである。(ただし、6月15日頃から8月末までと、病気のものに対しては傘の使用を許可する)』

 

日傘をさして登校する小学女子児童というのはモボモガのセンスなんでしょうか。ピンときませんが…。それはさておき、この時代には健康科学的な知識が乏しいことを差し引いても、化粧やファッションを否定し、色黒こそが健康優良児の証という考え方が正義であったことが読み取れます。いつの時代も女子のキレイでいたい願望は変わりません。当時の学校には女子のおしゃれ心を理解する余地は微塵もありません。そして“気風を養いたい”という言葉が示すように皆こうあるべきという一つの価値観に学校の指導は集約します。

 

 

『11月…急に寒さを感じるようになるが、この時期の寒さに体をかがめることはあってならない。町場の児童は早くも襟巻やショールを使用するものが出てくるが誠に面白くない。大いに寒気に対して抵抗する精神を見たい。』

 

信州の11月はかなり寒いんじゃないでしょうか。襟巻(つまりマフラー)やショールは私の卒業した中学でも禁止されていました。当時、なぜ禁止されていたのか明確な根拠は分かりませんでした。そうか、根底にあったのはこの考え方だったのね。“誠に面白くない”、“抵抗する精神を見たい”…いやいや、面白いですよ。この言い回し。

 

マフラーではないですが、私の中学時代、家にあった白いパラソルを何の気なくさしていったことがありました。その日、私は職員室に呼び出されて、『黒か紺の傘は持っていないか。校則では無地の傘となっているので違反ではないが、白い傘が(先生の目にはおしゃれに見えたので)他の生徒に流行るとちょっと…。』と言われたことがあります。もちろん、先生に悪意があったわけではないのでしょうが、“誠に面白くない”、”抵抗する(この場合は学校に従順な)精神を見たい”ということだったのでしょうね。

 

 

言い回しの違いこそ150年の年月を感じますが、学校教育の根底にある考え方や価値観はあまり相違ない様に感じます。学校という場で子どもたちが学ぶもの、習得するものは何でしょうか。1つには、学業や人間性などの個人の成長を促す場としての側面があります。子どもたちは自分と異なる家庭環境や個性を持つ同級生たちと刺激し合い、切磋琢磨し、協力し合いながら、自分を磨いていきます。2つ目には社会性を学ぶ場としての側面があります。学校は同世代が集い学びあう小さな社会として機能します。小さな社会の中で自らの役割を認識し、振る舞い方を学び、基礎的な社会性を身につけます。小さな社会ですから、秩序を保ち学校が健全に機能するために、ルールや礼儀が必要です。ところが、学校社会を運営していく中で、いつしか秩序を保つこと自体が目的化してしまう現実があります。その結果、自由で活発な学びの場を実現するための手段としての行動規範を追い求めて、学校は“あるべき生徒像”を押し付けてしまいます。

 


多様性が叫ばれるご時世ですが、一人ひとりが体に染みついた感覚や意識を変えていくには、まだ時間がかかりそうです。誰もが多様性を認め合う下、自由に学びを選べる時代へ。明治の近代教育黎明期に学びのあり方を真剣に考えた先人たちに倣って、平成末に生きる私も教育新時代のほんの一助になれたら幸せです。

 

 

 

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