理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

気づける人になるために-AI時代に生き抜く力-

近頃のスーパーでは、セルフ化・半セルフ化されたレジが見られるようになりました。私がたまに行くスーパーには、半セルフ化されたレジが並ぶ中、一台だけお釣り渡しまで店員さんが行う従来式のレジがあります。時代に逆行するひねくれ者の私は従来式のレジに並びます。というのも、このレジを担当している店員さんの接客応対がすこぶる気持ちいいからです。

 

常連と思しきおばあちゃんに何やら話しかけられると、「そうですね、おばあちゃん…今日は○○ですか?」なんて具合に自然な感じで言葉を返し、お父さんに抱っこされた幼児に見つめられると「バイバイ~♪」とこれまた自然な笑みで見送ります。はきはきした声とにこやかな表情に「演劇志望の方なのかな」と私は勝手な想像すらしています。この店員さんの凄いところは“良く気づく”点です。重いものがあれば丈夫な袋を出してくれます。お客の両手がふさがっていれば買い物かごを荷物台まで素早く運んでくれます。支払い時に端数を合わせようと財布の中の小銭を探していると、そうしたお客の仕草を察知してお代を受け取る手のひらを出さずに待ってくれます。レジが空いていればレジへ向かいそうなお客に遠くからでも「こちらのレジへどうぞ」とサッと誘導してくれます。いずれも接客マニュアルに書いてあることかもしれませんが、自然な流れとここぞというタイミングにマニュアルを超えた技能と気持ちが感じられます。半セルフ化レジ担当の店員さんがバイト感溢れる接客対応であるのと比べても、この店員さんの素晴らしさが際立って見えます。

 

この店員さんに備わっているもの、それは、お客ひとりひとりに対する観察眼と想像力なのでしょうか(上から目線で失礼!)。レジという定点から見える景色に潜む情報を読み取り行動に繋げていく。お客の行動と心理を読み、さらにはお客がスーパーに来て帰るまでのストーリーを想像する。“気づく”とは観察して考えることから生まれます。気づける人は、仕事を楽しく行い、自ら仕事を創り出せる人になれるでしょう。

 

 

■AIが人から仕事を奪う日はやってくるのか

 

現在10代の子どもたちが社会の第一線で活躍する頃には、AIが既存の仕事の多くを人から奪うと囁かれています。明確な根拠なくメディアが煽る話を真に受けて怖がる必要はありません。そもそも思考と感情を持ち併せたアンドロイドのような“AI”は未だ存在しません。メディアが使用する“AI”という言葉は、正確に言うと情報検索・文字認識・音声認識自然言語処理・画像認識等を行う“AI技術”を指しています。しかしながら、AI技術が日進月歩で進化していることは事実ですから、AIが人に代わって仕事を行ったり、社会の枠組みを変革したりすることは避けられないでしょう。

 

 

■AIができること-AIが学習する仕組み-

 

AIが人より優れている面は、規則的な関係性を学習認識し、データに忠実かつ大量に情報を処理することが可能な点です。AIとは、計算で表現できるものであれば学習して処理することができる、いわば演算技術です。物流倉庫のオートメーション化・自動運転技術を伴ったタクシーの効率的配車・画像認識カメラと電子マネー決裁による無人店舗・ビッグデータを分析したマーケティング・保険や金融商品の需要予測と運用分析・病巣を発見する画像診断など、物流・運輸・流通・金融・医療などの業界でAIとの親和性が高く、AIが果たす役割は増大しそうです。

 

AIに一つの処理作業を行わせるためには、膨大な教育データを作成して、これを一つずつ学習させなければなりません。これは“機械学習”と呼ばれています。AIを学習させる教育データは、何百万とか何億とか数が多ければ多いほど、AIの精度を上げられますが、教育データを設計作成するのは人間ですから大変な手間と費用がかかることになります。現在のAIブームに火をつけた“ディープラーニング”とは、教育データからAIがパターンを認識し、自律的に学習できる深層学習という技術です。ディープラーニングによりAIは加速度的に進化を遂げられるようになりました。それでもAIができることは、規則性があり計算で表現が可能な事象に限られます。

 

 

■いまだAIが到達できないこと

 

AIに不可能な点は、“常識”や“心理”など人が感覚的に持っている非論理的事象を理解することです。

 

先日とあるテレビ番組で、画像認識技術を利用して野良猫を撃退するAIロボット「ニャンニャウェイ」が紹介されていました。このロボットには、1万枚もの猫の画像を機械学習させてあります。近づく物体を猫か否か識別して、猫と判断すれば水をかけて撃退するそうです。番組では「ニャンニャウェイ」をだませるのかというテーマの下に検証実験を行いました。まず登場したのは、犬の写真です。見事に放水されず「ニャンニャウェイ」の勝利に終わりました。続いて、猫に変装した人間に反応するのかというお題で登場したのは、全身豹のコスプレに身を包んだ岩井志麻子先生です。豹が憑依したかのような動きを志麻子先生が見せると、「ニャンニャウェイ」もたまらず放水してしまいました。志麻子先生は、「私の女優生命がかかっている…」的なことをおっしゃっておりました。先生、さすがです。

 

AIの機械学習とは、限られた条件の下、統計的に事象を記憶し認識する作業です。統計的な認識ですので、「ニャンニャウェイ」は、教育画像から得た情報とカメラに映った物体が一致するか否かの作業を繰り返しているにすぎません。野良猫とは何か、目の前で不可解な動きをする女性は何を企んでいるのか、という常識や意味を「ニャンニャウェイ」が考えているわけではないのです。志麻子先生のコスプレと動きがどんなに猫らしくとも、私たちにはそれが人間(志麻子先生)であることは一目瞭然です。それは、私たちが常識や意味を理解して判断できるからです。「ニャンニャウェイ」は、今回の敗戦を受けて精度を上げてくるでしょう。しかし、AIが常識を覚え、意味を理解して行動することはありません。少なくとも私たちと子どもたちが生きている時代には。

 

 

■人間が本来持ち合わせている能力を研ぎ澄ませ

 

人は複雑な処理を一瞬にして判断できる生き物です。状況判断をして臨機応変な対応ができる、気づきと創造ができるという点では人間に分があります。物事を暗記して指示された通りに行動するだけならば、AIに任せた方が成果を期待できるでしょう。

 

「気づく力」を養うには、普段から観察する眼と「なぜ」を考える癖を身につけることが役立ちます。視点と角度を変えて物事を眺めてみると新しい景色が広がるかもしれません。勉強や運動や趣味活動の中に、あるいは何気ない生活の中にも題材は転がっています。勉強に関して言えば、一問一答的な暗記やパターンを学習するスタイルではなく、疑問を起こし自らに問うスタイルで取り組むと「気づく力」が養われます。(知識を蓄積しなくていい訳ではありません。考える基礎力として知識は必要です。)意味を考えて行動する。私たちが忘れてはいけない、そして研ぎ澄まさなければならないことです。