理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

無駄で俗な経験こそ学力向上の秘訣

■経験則が減っている?現代の子どもたち

 

AI・5G・ゲノム等々、日進月歩する科学技術は世の中を便利にしています。一方で、日常の森羅万象を成長とともに学ばなければならない子どもたちにとって、現代社会は、物事の現象とその原理や仕組みとを体感しづらい世の中とも言えます。デジタル機器とネット環境の普及によりボタン一つ(場合によってはボタンすらない)押せば欲しいものや情報を手に入れられます。また、時に安全安心を過剰に意識する風潮は、子どもたちから駄菓子や俗な遊び、あるいは家のお手伝いを遠ざけてしまっています。

 

私が子どもだった30~40年前はアナログな時代でしたから、今よりも生活の中に経験的な学びがありました。

 

ラジオのエアーチェックに夢中だった小学生の頃、遠くの地域や外国から飛んでくる微弱電波をなんとか受信できないものかとアンテナに同軸ケーブルを巻き付けたり、立体駐車場など高い場所にラジオを持って行ったりしていました。そんなマニアックな遊びから鉄筋コンクリートの建物よりも木造の建物の方が受信しやすいとか、深夜になると外国の電波が届きやすいとか、経験的に知ることができました。

 

家の手伝いの中にも経験的な学びが転がっていました。お風呂準備のお手伝いでは、お湯をはると水面が熱くなり浴槽の下が冷たくなるので、最後にお湯をかき混ぜておかなければならず、温められた水は軽くなるのだと感覚的に学んでいました。また、石油ストーブに灯油を補充するお手伝いでは、灯油ポンプの仕組みを体で学びました。(灯油ポンプの止めどころが小学生には難しく、灯油を溢れさせては怒られたものです。)挙げるときりがありませんが、加減や調整が必要なものが溢れていましたから詳しい原理を知らずとも感覚的に現象を知る機会が多くありました。

 

今では、インターネットラジオで日本全国の放送をクリアに聞けます。お風呂のお湯炊き機能は進化して、ボタン一つで正確な湯温にお湯をはれます。石油ストーブは今でも健在ですが、床暖房や全室空調の普及により子どもが灯油を補充する光景はほとんど見られなくなりました。

 

 

■学習の理解を深める経験則

 

理科実験が実験室の中だけのものとならないように、私は、できるだけ身のまわりのものに関連付けて生徒に理解を促しています。ところが、前提となる経験や知識が生徒に欠けていてポカンとされてしまうことが年々増えている気がします。

 

例えば、糖の実験において単糖類である果糖(フルクトース)を紹介する際に以下のような話をしました。

 

私「果糖はショ糖(一般的な砂糖)に比べて甘みが強く、特に水温が低い時ほど甘みが増すんだよ。人間の舌は冷たいときに甘みを感じにくいから、果糖は炭酸飲料に加えられているんだ。炭酸が抜けたり、ぬるくなったりしたジュースを飲んだ時にめちゃめちゃ甘く感じるでしょう。」

 

生徒「炭酸ジュースは飲まないので分からない。」

 

私「あぁ、そう……ね。」

 

家庭の方針で炭酸飲料や駄菓子が買い与えられないとのこと。もちろん、人それぞれに事情と考え方がありますから、ご家庭の方針にとやかく言うつもりはありません。ただ、ジャンクフードであってもテレビや漫画であっても幅広くものを知っていると、学習した内容が、点に散らばっている経験や知識をつなぎ、面の理解に広がります。「ああ、あれはこういうことなのか。」という瞬間が多いほど理解は自分のものとして習得されます。

 

勉強とは、見識を広げ考える力を身につけることにより内面を豊かにするものです。教科書やテストの世界だけが勉強ではありません。学んだ知識は、日常の経験や見聞と結びついてこそ生きた知識となります。勉強で学んだことが身のまわりのどんなことに繋がっているのか、子どもたちは、そのつながりを知れば、好奇心を抱き、さらに知りたい勉強したいと思えるようになるでしょう。親からしたら害悪と思える俗な遊びや駄菓子やテレビも幅広い見聞の一部となり、学びの引き出しとなりますから、何でも経験しておいてほしいものです。

 

子どもの頃に食べた関西の味と久々に遭遇

 

 

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