理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

宿題から解放されると賢くなる!?

コロナ休校期間中に大量の宿題を出された小中高生は多かったのではないでしょうか。休校中のまとまった時間を好きな事・普段できない事・受験勉強に充てようと企んでいた優秀な学生にとって、この宿題は水を差すような存在だったはずです。我が子が宿題をこなす姿に安堵していたのは、学習の遅れを根拠なく心配する保護者ぐらいです。今回の長期休校中の宿題に限らず、学校(特に公立学校)はなぜ宿題を生徒に課すのか、学校が意図する宿題の目的について考えていきます。

 

 

■宿題は生徒個別の状況を鑑みて課されていない

 

大前提として宿題は、生徒の学力を向上させるためのツールであるはずです。学力も習熟度も進路もまちまちな生徒が一様な内容の宿題を一律に課される実態に疑問を感じざるを得ません。公立学校の授業ではどの科目もおよそ教科書レベルで行われています。学力の高い生徒ならば、授業時間内だけで理解できるでしょう。私立校受験やスポーツ芸能芸術など明確な進路に向けて学校とは別の活動に励んでいる生徒ならば、宿題の優先順位は低くなります。一方で授業についていけない生徒にとっては、宿題は荷が重い存在でしょう。理解の及んでいない学習内容に遡り補習を受ける方が宿題に取り組むよりも有益です。つまり勉強とは、個々のレベルと進路状況によって個別に学習内容が異なる個人戦です。生徒が、宿題を何よりも優先するべきものと信じて真面目に提出しても、学力は効率良く向上しません。

 

将棋の棋士である藤井聡太七段が中学時代に「なぜ宿題をやる必要があるのか?」と先生に質問したエピソードは知られるところです。棋士の道に忙しい藤井聡太七段は、授業内で理解済みの内容を自宅学習することは時間と労力の無駄だと考えたのでしょう。結局、先生に諭された藤井くんは宿題をやることに同意したそうですが…。

 

 

■学校が宿題を一律に課す本当の目的

 

宿題に関する学校側の言い分として以下のような声が上がりそうです。

 

その日に行われた授業内容を生徒に定着させるため。

宿題を課さないと生徒は自主的に勉強をしないから。

学習のリズムをつけさせるため。etc.

 

実際のところ、自宅での復習素材として宿題にじっくり向き合い、理解の定着を図れている生徒はいかほどいるのでしょうか。多くの生徒は、宿題をこなすべきノルマと認識して理解の定着よりも提出という義務の履行に労力を注いでいるのではありませんか。先生にも、宿題を通して一人一人の習熟度を把握する余裕はありませんから、学校は提出率のチェックという形で生徒の学習を管理するようになります。つまり、生徒と学校の両者にとって宿題は、提出自体がゴールとなりがちです。宿題の提出は成績評価の材料となり、生徒は宿題というノルマにますます縛られるようになります。

 

宿題をやってこない生徒を先生が叱る理由は、生徒の習熟度向上を心配しているからなのか、それともノルマをこなさい(生意気な)態度を気に入らないからなのか、どちらにあるのでしょうか。

 

生徒全員が一致団結して同じ方向を向く。これは、物議を醸す組み体操や部活動などを筆頭として学校に響き渡るスローガンです。このスローガンの下で宿題は生徒を管理統制するためのツールとして機能し始めます。「自由な時間を与えると生徒は勉強をさぼり、遊びほうける。だから、宿題というミッションを与えて生徒の生活を管理しよう。」極端かもしれませんが、こうなると宿題は、学力向上のためという大義の下で学校への忠誠心を問う踏み絵と化します。勉強は前述したように個人戦ですから、全員が足並みを揃える必要はありません。管理統制するための宿題が生徒にもたらす効果は、勉強は作業であり強制されるものだという誤った意識の刷り込みぐらいです。

 

 

■学力向上のために宿題の作成よりも大切な工夫

 

勉強は、その必要性に迫られた時または探究心を抱いた時に取り組むと学力が向上します。強制的な作業としての宿題を嫌々こなしても学力の向上に限界があります。学校は、勉強をさぼって大変な状況を招くのも自らの責任だと生徒に教え、生徒が気づく時まで静観する忍耐を持ち合わせなければなりません。「これはやばいかも」「勉強したい」と生徒が自ら思い始めた時に具体的なアドバイスとサポートを受けられる環境を学校は整えておけばいいのです。

 

そうは言っても、「やばい」と気づいた時が絶望的に手遅れであってはいけません。空気のように勉強が生活の一部に習慣づいている生徒は学力を伸ばせますから、継続した学習リズムを築いておく必要性はあります。ただし、継続した学習リズムはノルマと化した宿題では築けません。

 

生徒を管理するための宿題を課すばかりが学校の役割ではないはずです。横浜市にある聖光学院では、職員室と廊下の壁が取り払われ、広々とした空間が創られています。これは、生徒が気軽に質問をできるようにと考えられて設計されているのだそうです。また、校舎とは別に生徒が自由に出入りできる自習室も完備されており、卒業生が使い込んだ参考書や赤本が揃えられています。卒業生が参考書や赤本に書き込んだ内容は勉強のポイントを伝えてくれるので、お古の参考書は後輩たちに重宝されているそうです。

 

教室によく貼られている“自ら学ぶ強い子に”などの標語の如く、自学自習の精神を育む場が学校です。コロナ休校時に多くの生徒と先生が学習との向き合い方に混乱しました。それは自学自習の姿勢と精神が育まれていなかったからだとも言えます。「勉強は将来の生活と社会に何をもたらすのか。大人になった自分にどんな世界を見せくれるのか。」普段の授業の中で伝える工夫が、生徒よりも先に生きる先生(私も)に課せられた職務です。

 

 

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