『勉強の楽しさとは思考をはたらかせて気づきを得ることだ。学びを楽しめ!』
なんて文言を教育にまつわる人から耳にすることがあると思います。かく言う私もホームページや当ブログなどで『知るをよろこび、考える面白さを』なんて同様の御託を並べています。
とはいえ、その境地に至るには知識の習得―すなわち暗記―が欠かせません。多くの学生にとって勉強を始めようとするとき、避けては通れない関門ではないでしょうか。
英単語、英文法、古文単語、助動詞の活用、公式や定理、年号、化学式......
「どれも生活に必要なさそうだし。」
「とっつきにくくて楽しくない。」
「だから勉強は好きになれない。」
なんて声が聞こえてきそうです。
これから勉強を始めようとするとき、避けては通れない“知識の習得”をどのように対処すればいいのでしょうか。
実は、勉強ができる人とそうでない人との間には、この”知識の習得”に関して大きな違いがあるのです。
勉強を苦行と感じる人の“知識の習得法”
勉強を苦行と感じる人ほど、知識の習得を暗記学習と捉えがちです。
ひたすら教科書やノートの文字を眺めたり、線を引いたり、あるいは何十回と書いたりして丸暗記を試みます。
ドキッとした人はいるのではないでしょうか?
翌日のテストに向けての対策なら、なんとか丸暗記で乗り切れるかもしれません。でもそれは、テスト終了とともに消えてしまいます。こうした習得法はいわば、文字を画像として脳に転写するようなものです。
勉強ができる人の”知識の習得法”
一方で勉強ができる人は、情報に意味付けを行ったり、既知の知識や別の分野の知識と関連付けを行ったりしています。
つまり理由や背景を付加してみたり、構造的な分解やカテゴライズを試みたりするわけです。
教科書に記載された一つの暗記すべき太字は、他の情報と点と点でつながり、面をつくり出し、やがて立体的な膨らみを持つようになります。
太字の情報は単純暗記の域を超えて、自分と一体化された知識として格納されます。こうして、できる人は知識をどんどん定着させていきます。
受講の瞬間から開き始めている差
分かりやすさに定評がある講師に教わったとしても、誰もが理解を深めて成績をのばせるわけではありません。
それは、授業を不真面目に受けているからではありません。むしろ真面目に講師の話を聞いているのです。正確に言えば、聞いているだけだからなのです。
授業とは一見すると、話し手の講師と聞き手の生徒との一方通行の関係のように見えるかもしれません。しかし、授業とは相互通行で成り立っているものなのです。
できる生徒は話を聞いているとき、授業という舟に乗せられているのではなく、講師と共に舟を漕いでいます。
「なぜ?」を考える。
規則性を見つけ出す。
身の回りの事柄や自らの経験則と結び付けてみる。
また板書を書き写すだけでなく、「大事だな」と思ったことはすかさずメモをとる。
ゆえに疑問も湧き出しますから、手をあげて声を発することも厭いません。
頭をフル回転しながら講師の発することばから自分なりの枝葉を伸ばしているのです。
今からでも遅くはありません。受け身の姿勢を改めて、能動的な受講へ意識を変えてみてみてはいかがでしょうか。