理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

内申点という魔物④―“頭のいい子・悪い子”は思い込み―

中学生になって受ける校内一斉の定期テストは、学力面における相対的な自己の位置づけを初めてつまびらかにする機会です。第4回コラムでは、定期テストやそれに基づく内申評価が思春期の子供たちの内面に及ぼす影響を考えていきます。

 

■内申評価が作り出す“頭のいい子・悪い子”の思い込み

 

公立高校に進学するならば、中学入学当初より定期テスト内申点とにらめっこし続けなければならない実態は前回までに既述の通りです。2~4か月ごとに生徒たちは、校内における自己学力の相対的な位置を確認するテストに追われています。早い段階で定期テストの波に上手く乗れた生徒は、“頭のいい生徒”として周囲から認識され、中学生活を過ごしていくでしょう。

 

小学校まではテストや通知表はあっても、学力ランキングという明確な指標はありません。誰も答えられない算数の問題をすらすらと解答したり、物知りだったりする同級生が、周囲からなんとなく“頭のいい奴”と認識される程度です。(私立中受験塾に通っている子の間では、少し事情が異なるでしょうが。)

 

小学校までは、運動ができる子・面白い子・目立つ子・影の薄い子といった“キャラ”によって人気が左右され、クラス内での人間関係が出来上がっていました。しかし、中学からは定期テストによる“学力ランキング”という新たな要素が加わり、“キャラ”や人間関係が再構築されるようになります。本人の思い込みに加えて先生や周囲から向けられる見方や期待により、勉強ができる子らしい振る舞い・勉強ができない子らしい?振る舞いを自然と演ずるようになりがちです。

 

テスト結果でランキングがつけられること自体が悪いのではありません。例えば、徒競走や持久走大会において順位をつけない学校が近年増えていますが、順位をつけない指導に個人的な違和感を感じます。競い合い頑張った結果を順位として受け入れることは、上位の子にとっても下位の子にとっても教育的に意味があるはずです。たとえ話ですから、徒競走や持久走大会の順位付けについてこの場で議論するつもりはありません。ただ、どんな分野でも人には得意不得意があります。それを知ることは大切ですし、奮起して順位を上げた時の達成感やその楽しさを感じ得ることには意味があります。

 

ただ、本格的な学習が始まったばかりの中学生が、校内定期テストという限定的な世界において、出来が悪かったから“自分は勉強ができない”と、逆に優秀だったから“自分は勉強ができる”と思い込んでしまうとしたら、そこには危険が潜みます。

 

 

■勉強ができないと決めつけるには早すぎる

 

発達心理学者のジャン・ピアジェは、年齢と脳の発達段階の関係における理論を唱えています。この理論に基づき学習指導要領も策定されており、「何年生で何を学ぶのか」という決定には理論の裏付けがあります。ピアジェの理論によれば、11歳あたりを境に抽象的な概念を理解し始めるようになると言われています。11‐15歳の時期は、この抽象的概念の理解力においてまさに発達中の段階です。これを受けて中学の学習内容は、数学の数式や理科の化学式など抽象的な概念の理解を必要とする単元が増えていきます。

 

例えば、中学校で登場するx・yを利用した方程式の学習は、抽象的な概念の理解を必要とする内容の典型です。小学高学年は具体的なイメージの湧く範囲内で論理的な思考ができる段階にあります。小学生にとって、xとyの方程式を使うよりもつるかめ算や和差算を使った方が理解しやすい点には根拠があるわけです。(方程式に慣れた大人には、逆につるかめ算や和差算の方が難しく感じられる場合もありますが…。)

 

当然のことながら、この段階の発達には個人差が見られます。脳の発達段階が早い子はスタートダッシュが良く、テストの結果が優れていたとしても、その後の伸びがどうなるかは分かりません。逆に、成績が優れていないとしても、それは、脳の発達段階が人より少し遅めであることが起因しているだけかもしれません。

 

中学生は、大人と子どもの端境期だと言われています。これは、脳の発達が抽象的概念の理解や組織化の段階にあるからです。つまり、この段階にある中学生が大人社会の矛盾を無性に強く感じたり・自分の存在意義を悩んだり・反抗期を迎えたりするのも抽象的思考という脳の発達段階に起因しています。思春期に見られるこれらの行動はいずれも正常そのものです。「最近、子どもが何を考えているのか分からなくなって不安だ」という親御さんは安心して大丈夫です。

 

もし、中学の成績が優れていないからといって"自分は勉強ができない・苦手だ・嫌いだ”と考えることは早計です。あなたの能力はあと数年で始動するかもしれません。勉強ができないと思い込むことで、”勉強ができない人の道”を選ぶことは勿体ないし、馬鹿々々しくも思えます。たかだか13-15歳において学力面のキャラを決定することは損でしかありません。13-15歳の時点での成績(それも主観入り混じる内申点)がその後の勉強の能力を示しているわけではありません。

 

 

■能力と開花の時期は人それぞれ

 

学校教育では一律に物事を進めようとします。能力が開花する時期には個人差があります。学校教育で一律に引かれたスタートラインが今のあなたに合っていないだけかもしれません。今は、教科書の字がハングル語やアラビア語のように見えているとしても、先生の話が何かの呪文のように聞こえているとしても、勉強の能力がないとは誰にも断言できません。

 

学力とは内申書に表される5教科(または9教科)が万遍なくこなせる能力だけを指すわけではありません。例えば、数学や英語を苦手と感じていても文章力に尖った才能があれば、それも勉強の能力の一つです。ひょっとしたら優秀な編集者や新聞記者あるいは小説家になれる可能性だってあります。洋服や流行に興味がある人は、色彩やデザインに鋭い観察眼を持ち続ければ、その能力が開花するかもしれません。デザイナーやスタイリストになれる日がやってこないとは限りません。

 

悩んでもよし、立ち止まってもよし、ぼーっとしても構いません(チコちゃんに叱られるかもしれませんが…)。スポーツでも、ゲームでも、恥ずかしくて人に言えないような趣味でも、何でもいいですから夢中になれるものを探してください。何かをとことん探究し続ければ、学力の扉が開く日が必ずやってきます。

 

理科塾|探究で思考力を高める 理科実験&国語の進学塾

https://rika-jyuku.com