理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

合格できる人の8つの特徴 ①横並び意識がない

教育メディアから飛び交う、華々しい合格者数ランキングの裏側にはその何倍もの数の不合格者が存在します。彼らの合否の分かれ道は何だったのか。私の指導経験から得た合格できる人の8つの特徴を10回に渡ってお話しします。新受験生の皆さんの一助となれば幸いです。

 

 

合格できる人の特徴1 ― 横並び意識がない ―

 

横並び意識がない人とは、受験において希望する進路を自分の目的と意志で決められる人であり、進学先での自分の姿を具体的にイメージできている人を指します。こうした人は人と異なる道を選ぶことに何の抵抗感もなく、むしろ自分だけの進路に誇りすら持っています。

 

一方で、周囲の同級生と学習や進路の歩調を合わせている人はこれに該当しません。

たとえば、以下のような事例があてはまります。

  • 身近な人が志望する(進学した)学校の中から自分の志望校を決める。
  • 周囲と同じ模試を一緒に受けないと焦る、落ち着かない。
  • 同じ学校内で競い合うことに安心と満足を得る。
  • 総じて人と異なる行動ができない。浮くことを嫌う。

 

一般論ですが、私立学校よりも公立学校に通う学生に横並び意識は多く見られます。公立学校では学区制により同じ地域に住む者同士が肩を並べます。地域のつながりや連帯感は人の成長に良い影響を及ぼすことに異論はありません。ただし、同質な慣習や価値観の中で育つことは、必然的に外の環境へ眼を向けにくくさせる作用もあります。

マイルドヤンキーなる言葉があるように、慣れ浸しんだコミュニティーに胡坐をかくと視野が狭くなると同時に自らの可能性に気づく機会を失いかねません。横並び意識は知りえる世界や価値感から知らぬ内にあなたを遠ざけています。

 

あなたにとってのトップ校は思いもかけない場所にあるかもしれません。周囲の様子を窺いながら徐に行動するのではなく、広い視野と好奇心をもって自ら飛び込んでいく勇気が必要です。特に難関校を目指す人は、”周囲と同じであること”に胡坐をかいてはいけません。誰もが行けないから”難関校”と呼ばれる所以をお忘れないように。

 

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合格できる人の8つの特徴 序章 日々の努力と塾に通う意味

春風と陽光は春の訪れを感じさせてくれます。とはいえ、昨今の春には春風ならぬ暴風が吹き荒れています。原因は南岸低気圧にあり。今年はとりわけその発生数が多い気がします。これも気候変動の影響なのでしょうか。

南岸低気圧は発達しながら東へ進み、西高東低の気圧配置を展開します。いわゆる爆弾低気圧と言われるもので、日本列島を縦に走る等圧線の間隔が狭いほど風が強く吹きます。

このコラムを書き始めた日も猛烈な北風が吹き荒れています。台所の換気扇の蓋がバッタンバタンと音を立て、家全体が時折小刻みに揺れるほど。「三匹の子ぶた」の木の家のようにならないかと気を揉みながらキーボードを打ち込んでいます。

 

さて昨日までの受験生にとって春は、卒業式を終え新年度に向けて新天地へ旅立つ季節です。また新受験生にとっては、次の受験レースの戦いに向けてすでにその火蓋が切られています。

 

この時期に教育メディアから飛び交う、華々しい合格者数ランキングの裏側にはその何倍もの数の不合格者が存在します。彼らの合否の分かれ道は何だったのか。運や体調が影響した場合もあるかもしれませんが、このコラムでは、私の指導経験から得た合格できる人の8つの特徴をお話しします。新受験生の皆さんの一助となれば幸いです。

 

序章 ― 日々の努力と塾に通う意味 ―

 

受験の世界では運だけで合格を掴み取れることなどありません(受験は宝くじではありませんから)。また、塾業界には”合格請負人”なる肩書きも聞かれますが、どれだけ教え方が上手で、受験知識に長けた講師の下で教わったとしても、それがあなたの合格を保証するなんてことはあり得ません。

 

冒頭から身もふたもないことを言わせてもらいます。どこの塾に通おうと、誰に教わろうと、塾に通わないで通信教材を利用しようと、”日々の努力”が合格への唯一の処方箋なのです。

 

「そんなことは分かっている。それができれば苦労しない」とお叱りをうけるでしょう。まったくその通りなのですが、“どのようにいつ何を努力するのか”が肝要なわけです。塾で指示された課題に手をつけないことはもとより、自己満足的な努力を闇雲にしても合格には近づけません。現状を俯瞰的に分析し、適切なタイミングに、正しい学習内容と学習方法で日々の学習を積み重ねなければなりません。

 

もちろん、こうした学習を一人で実行できる中高生はよほど地頭が良くない限り滅多にいません。そこで、プロからその具体的な方策を得る必要があります。塾に通っている人ならば、塾の先生がその役割を果たしてくれるはずです。すなわち”塾に通う”とは、”学習の方策”を得ることであり、設問の”解き方”を教えてもらうことではありません。設問の”解き方”を教わるだけであれば、分かりやすい参考書や学習アプリが巷にあふれていますから事欠きません。

 

合格に近づける人は意識してか、意識せずしてか、上記の事柄を理解して実践できています。もし今あなたが、”解き方”を教わるためだけの塾通いをしているならば、塾に通う意味を問いただし、上手に塾を利用してみてください。授業コマ数だけを無駄に増やしても高額な月謝に見合う結果は得られません。

 

次回>>>合格できる人の8つの特徴 ①横並び意識がない -につづく

 

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宗教には宗教を

9月に入り肌を刺すような日差しを感じなくなったものの、猛暑がおさまりません。

休日のある日、教室で模試の問題を解いていましたが、気分を変えようと近くの公園に問題用紙と筆記用具を手にして出かけてみました。

 

夕方になれば、木陰のベンチも快適に感じられます。雑音もなく、集中して数学の問題と格闘していたところ、一人の外国人が話しかけてきました。

 

「絵を描いていますか?」

 

鉛筆と紙をもってベンチに腰掛けている私を見て、彼は私が風景画を描いていると思ったようです。

 

「No,I'm solving mathmatics' questions.」

「あっ、数学の先生ですか?」

「I'm running a private cram school for junior and high school students.」

「Oh,何の教科教えていますか?」

「I'm teaching mathemaics, Japanese, science including experiment and English.」

「Oh、すごいですね、英語の発音がとても上手ですね。」

「Thanks. But I haven't been abroad.」(本当は一度だけ行ったことがあるんだった。)

「Oh,すごいですね。」

その後、出身地やお仕事のことやお名前などについて雑談をしました。

しばらく話をした後、彼は「30秒、ちょっとだけお話いいですか?」と切り出してきました。

 

その瞬間、私は2つのことにピンときました。正確に言えば、1つ目のことはその瞬間ではなく、彼と目が合った瞬間から薄っすら気づいていたのですが・・・。

優しいほほ笑みと端正な顔立ちをもつ彼は、キリスト教系団体の布教をしているのだろうと。

 

若いころは街角で白人男性(だいたい2人組)に「ちょっとお話いいですか?」と呼び止められ、聖書やイエスキリストなどの話を聞かされることがありました。中年になった今ではすっかり話かけられなくなりました。(繁華街で胡散臭い黒服のお兄さんや居酒屋の呼び込み人に話しかけられるくらい。)

 

暇だったので、彼の話に付き合うことにしてみました。

 

ちなみに2つ目の気づきは、彼が当初からすべて日本語で話しかけてきていたこと。なぜ日本人は相手が欧米系の方となると、求められていないのに英語でしゃべろうとするのでしょうか。(発音が良いと褒められてちょっと嬉しくなっている自分が恥ずかしい。)

 

ここから先は、お互いに日本語でのやり取りとなります。(それでも時折英語の単語を挟み込もうとする自分がいます。彼のお名前はRさんです。)

 

Rさん:「神様の存在を信じますか?」

 

私:「神様godなる唯一無二の存在があるのかは分かりません。Rさんが言うところの神様が心の支えであるとするならば、私の心の支えは複数のもの:つまり、両親parentsと家族family、これまでの人生で私を支えてくれたすべての人々、共感できる文化cultureや価値観などですね。そういう意味ではこれらのものすべてが私にとっての神様だと信じています。」

 

Rさん:「そうですか… …。人は死んだ後にどうなると思いますか?」

 

私:「無nothingになると思います。

いや、正確に言えば、地球や宇宙を構成する物質の一部になるとでも言えるのでしょうか。

個体としての体は無になりますから、話をすることも見ることも聞くこともできませんが、全宇宙のほんの一部…part of Universeになるのかと考えています。」

 

Rさん::「そう、ですか……。

神は大地や生命など万物を創造したと聖書に書かれています。(聖書を差し出す)

もし、生きている間に神様に会えるとしたら、何をかなえてほしいですか?」

 

私:「う~ん、望みをかなえてもらうという感覚はないですね。

この世は太陽などの天体の動き、地球上の自然の営み、そこに暮らす人々の多様な気が複雑に絡み合って流れを作り出しています。もちろんそこには、人が発する悪い気の流れも含まれていますから、理不尽なこと、悲しい出来事も起こります。しかし人間が個別の力でなんとかできるものではありません。

逆らえない流れの中で日々一生懸命かつ誠実に生きようとするしかない。だから望みはかなえてもらうものではないと考えています。」

 

Rさん:「そう…ですか……。お話聞いてくれてありがとうございました。」

 

私:「いえ、こちらこそ。ありがとうございます。」

 

若いころには、「布教団体の若者に何かを買わされるのではないだろうか? どこかに連れていかれたらどうしよう」とドキドキしていましたが、歳を重ねるとは屁理屈をこねるおっさんになることだと思いました。

なんとも自分は面倒臭い奴だ。

 

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情報を正しく消化できる人になろう

先日、”流しそうめんで集団食中毒”とメディアで報じられていました。(被害にあわれた方の一日も早い快復をお祈りしております。)
 
このニュースはもちろんフェイクではなく、事実を報じたものです。
しかし、この目を引くニュースタイトルに1点の危惧が生じました。上記のタイトルを耳にして、「そうめんは危ない」と思われた人が一定数いるのではないだろうかと。まさか、自宅にある使いかけのそうめんを処分したり、そうめんの購入を控えたりする人が現れたとまでは思いませんが…。
 
食中毒の原因は、そうめんを流すのに使用した湧水に7月の大雨時の雨水が流入し、そこにカンピロバクターという菌が含まれていたためです。普段は行っていた水質検査も大雨後には行われていなかったため、菌の存在に気付かなかったと報じられています。
誰もがご存じの通り、そうめんは小麦粉から作られた乾麺であり、そうめん自体が食中毒を引き起こすような食品ではありません。(もっとも、茹でてから長時間放置していればそうめんと言えども傷みますが、通常茹でたての状態で食するはずです。)
 
ニュース記事にキャッチーなタイトルをつけて注目度アップを狙うのが、メディアの性です。『腐るはずのないそうめんを食べて食中毒になったのか!?』と情報の受け手側に立つ人はメディアの狙い通り記事に目を留めるわけです。
このとき、情報の受け手側に立つ人はタイトルだけを見て情報の処理を自己完結させていませんか。つまり脳内の”驚き中枢”を満足させて、意図的ではないにせよ、”そうめん=危険”との勝手な解釈を発動していないでしょうか。
 
情報を受けとるとは、興味や疑問をもって情報の詳細を自ら取りに行き、状況や根拠などを整理する作業です。それらの作業をもって情報の真偽を判断しなければなりません。
高速で通り過ぎていく数多の情報に振り回されないためには、立ち止まって聞く耳と調べ考える癖を身につける必要があります。それはいわば、一語一句の言葉を大切にすることにほかなりません。
 
100年前の関東大震災でも、情報の誤った受け取り方による悲劇が刻まれています。震災後の混乱の不安や恐れから根拠のない噂や一部の政治的主義者によるデマ(朝鮮人が井戸に毒を入れる等)が拡散されました。それに翻弄された人々が自警団を結成し、警察や軍とともに罪のない在日朝鮮人を虐殺しました。
自警団を結成した日本人もまた、嘘の情報によって脳内の”不安中枢”を刺激され、情報を精査する思考を放棄してしまったのです。
 
言葉は形がなくとも、人の感情や行動を支配します。言葉を使い捨てのものとして浴び続けると物事の裏側に潜む事実や意味を見落とすことになります。また、自分の発する情報が知らぬ内に誤解を招くことにもなりかねません。
SNSが日常に跋扈する時代だからこそ情報を自らで咀嚼し、自らの胃腸で消化できる人を目指さなければなりません。
 

ガクチカと内申評価制度の意外な共通点②

前回のコラム「ガクチカと内申評価制度の意外な共通点①」では、中学校の内申評価制度が大学生のガクチカ意識の根底をなしている問題点に触れました。

学内活動や検定等の教科外の内申評価点は受験生の思考力や人間性(適性)を測れているのでしょうか。また高校入試において適切かつ公平な基準といえるのでしょうか。

今回のコラムでは高校入試の現場が”カタチ”の内申評価基準から脱却し、どのような評価手法に改めるべきかを考えていきます。

 

 

入試にみる私立学校の狙い

 

そもそも入試を実施する側の学校はどのような視点から受験生をスクリーニングしているのでしょうか。多くの私立学校は、高い学力に加えて思考力・主体性・創造性に富んだ生徒の獲得を望んでいます。

その表れとして昨今の中学入試では定型の応用問題よりも時事問題や日常のテーマに結び付けた思考力型問題が出題される傾向にあります。都立国立の中高一貫校では教科横断型の適性検査と500字程度の作文を課す学校が多く、詰め込みの知識よりも思考力を重視しています。

高校入試においても早大高等学院や中大附属高校など、私立難関校では小論文を課して高配点としています。これも学科試験だけでは測れない思考力や表現力を重視する学校からのメッセージです。

また医学部の入試では多くの場合で小論文が課されます。医療の世界では倫理的な判断を求められる場面が多く、医療従事者としての言動が患者や社会に多大な影響力を及ぼします。したがって医学部を志願する受験生には学力はもちろん、倫理観や人間性も問う必要があります。

 

 

小論文は興味・知識・思考力・適性を知る最適ツール

 

入試において受験生の思考力や人間性を確認する方法として小論文が一つの有効な手立てではないでしょうか。もちろん入試に完全な方法は存在しません。限られた時間と方法ですべてを公平に探ることは不可能です。ただし受験生の思考力と適性を知るには、部活動の役職や戦績ならびに検定を点数化する内申評価よりも考えと知見を問える小論文の方が適しています。

殊更社会問題に対して意見を問う小論文問題では、争点や課題を発見するために幅広い見識が必要とされます。普段からニュースやコラムなどで時事問題に興味関心を持ち、調べる習慣を身につけておかなければなりません。

幅広い知見は考える癖を育てます。社会の出来事に対して「なぜだろう」「どういうことだろう」「どうなるのだろうか」との疑問を抱き考える癖を持つ人は観察眼と思考を深め、自らの意見をまとめられるようになります。これは一朝一夕では身につかないため、日常生活の中で習慣化するより方法がありません。

 

 

小論文を書けない中高生

 

【問題】

写真資料から読み取ることができる、社会が解決しなければならない課題を挙げなさい。また、それに対するあなたの考えを、これまでに学んだことを使って書きなさい。(500字以上~600字以内 一部条件省略)

 

これは筑波大学附属坂戸高校の一般推薦入試で毎年出題される小論文問題です。街角の風景など1枚の画像のみが示され、その画像から読み取れる社会課題を述べさせます。高校入試で出題される小論文問題としてはユニークな内容です。

この小論文問題に対処する一歩として、「1枚の写真のどこに着眼して課題を見つけ出すのか」との課題発見力を鍛えなければなりません。

時事問題ならびに社会問題に普段から関心を持ち、関連する身の回りの事柄に問題意識を抱く中学生ならば論じられます。ところが多くの中学生は意見を論ずる習慣がないばかりか、時事問題や社会問題に関心が薄いのが実態です。

昨年の学校説明会では問題作成担当の先生から、毎年多く見られる解答として以下のパターンが挙げられていました。

1.意見に客観性がなく、感想文と化している

2.意見の客観的根拠が示されておらず、説得力に欠ける

3.多方面からの視点に欠けている。(=意見が浅い)

 

「思ったことをそのまま書けばよい」「まずは考えてみよう」など、作文を苦手とする生徒へのアドバイスを耳にします。しかし思いついた言葉を適当に並べたものを”小論文”とは呼べません。それは論の展開が組み立てられていないからです。また”考えてみよう”と言われても、そのツールとなる知識がなければ何をどのように考えればよいのか見当もつかないでしょう。

そもそも学ぶ意欲や知識を広げる好奇心が低い学生は、思考する前に調べる習慣がなく、正しく調べる方法も知りません。調べ物はSNSの#ハッシュタグ検索を常用する中高生も昨今では少なくありません。

こうした学生はまず調べ方を学習するところから始める必要があります。検索するための語彙力を高め、情報の出典元を精査し、断片化されて出てきた情報を取捨選択する能力を身につけなければなりません。そうすれば情報の信憑性や真偽を判断できるようになります。

また小中高生の多くは作文の書き方を学校で教えられていません。客観的な文章(小論文)よりも主観的な文章(読書感想文)を書かされる場面が多いことも小論文を書けない原因の一端です。

 

 

興味関心は思考の源泉

 

内申点を追いかける中学校生活は、学習の本来の目的である、興味関心を抱き深く考える癖を育みません。これは”カタチ”を点数化する内申評価制度の弊害です。

加えてスマホ全盛の昨今、手元に情報端末を持ちながらも中高生の見聞の世界は狭くなる傾向にあります。インターネットやSNSの世界では既知の興味関心事項ばかりにアクセスする仕組みが組み込まれており、調べものをしやすいはずのネット端末がパラドックス的に作用します。

我が子の興味関心の低さや視野の狭さを心配する親御さんは多いのではないでしょうか。もっとも、経験不足の10代の子どもたちを“無関心でモノを知らない若者”と大人目線で決めつけてはいけません。ただ早い段階で好奇心や興味関心を持ち始めた中高生は考える癖を自然と身につけています。

普段から考える癖を身につけている生徒は様々な事柄に対して自分のスタンスを持つことができます。こうした生徒は、基礎的な文章技術を習得する必要があるものの、小論文やディスカッションにおいて自分の論を立てられます。

 

 

AIが浸透する社会が迫るからこそ

 

昨年11月に公開された自動文章作成アプリ”チャットGPT”は、産業革命やインターネットの登場に匹敵するほどの変革を世界に与えると言われています。チャットGPTとは、文章作成のお題を与えられたAIがインターネット上の情報を収集して文章を瞬時に組み立てるアプリです。

その文章作成能力は高く、アメリカの大学では学生がチャットGPTで論文課題を作成してしまうことが問題視されるほどです。チャットGPTによる論文は教授に見破られにくいのだとか。

現在世界中で、自動文章作成AIの技術向上に向けた研究開発が行われており、加速度的に世の中に浸透すると予測されています。

チャットGPTではAIと対話しながら欲しい情報を瞬時に教えてもらえるわけです。これまでのように自ら検索して出てきた情報を取捨選択する必要はありません。グーグルなどの検索エンジンがチャットGPT のようなアプリに置き換わる日もそう遠くないでしょう。

 

ただ、チャットGPTにも欠点はあります。インターネット上の既出情報を再構築して文章を作成するため、信憑性は低く、新たな発想や意見を生み出せません。また、指示の出し方により使いこなしの差が生まれますから、チャットGPTの特性を知り、適切な指示の出し方を学ぶ必要があります。

チャットGPTを活用するためには、人間が情報や言葉を精査する能力と創造性とを高めなければなりません。やはり、今にも増して小論文を書くための論理力や思考力は求められるでしょう。アプリに任して書くことと考えることを人間が止めてしまえば、その代償は取り返しのつかないことになりかねません。

 

”カタチ”を点数化する内申評価に代わり小論文を入試に取り入れることは、中高生に興味関心と思考力を育むでしょう。同時に、「何を行いカタチにしたのか」よりも「どう学び成長したのか」を評価の基準に据えることができます。

就活生がガクチカのカタチに固執するのではなく、これまでの学びや生活の中でどのような価値観や人間性を身につけてきたのかを自己アピールできるようになれれば小論文試験を導入した甲斐があったと言えるでしょう。

 

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