9月に入り肌を刺すような日差しを感じなくなったものの、猛暑がおさまりません。
休日のある日、教室で模試の問題を解いていましたが、気分を変えようと近くの公園に問題用紙と筆記用具を手にして出かけてみました。
夕方になれば、木陰のベンチも快適に感じられます。雑音もなく、集中して数学の問題と格闘していたところ、一人の外国人が話しかけてきました。
「絵を描いていますか?」
鉛筆と紙をもってベンチに腰掛けている私を見て、彼は私が風景画を描いていると思ったようです。
「No,I'm solving mathmatics' questions.」
「あっ、数学の先生ですか?」
「I'm running a private cram school for junior and high school students.」
「Oh,何の教科教えていますか?」
「I'm teaching mathemaics, Japanese, science including experiment and English.」
「Oh、すごいですね、英語の発音がとても上手ですね。」
「Thanks. But I haven't been abroad.」(本当は一度だけ行ったことがあるんだった。)
「Oh,すごいですね。」
その後、出身地やお仕事のことやお名前などについて雑談をしました。
しばらく話をした後、彼は「30秒、ちょっとだけお話いいですか?」と切り出してきました。
その瞬間、私は2つのことにピンときました。正確に言えば、1つ目のことはその瞬間ではなく、彼と目が合った瞬間から薄っすら気づいていたのですが・・・。
優しいほほ笑みと端正な顔立ちをもつ彼は、キリスト教系団体の布教をしているのだろうと。
若いころは街角で白人男性(だいたい2人組)に「ちょっとお話いいですか?」と呼び止められ、聖書やイエスキリストなどの話を聞かされることがありました。中年になった今ではすっかり話かけられなくなりました。(繁華街で胡散臭い黒服のお兄さんや居酒屋の呼び込み人に話しかけられるくらい。)
暇だったので、彼の話に付き合うことにしてみました。
ちなみに2つ目の気づきは、彼が当初からすべて日本語で話しかけてきていたこと。なぜ日本人は相手が欧米系の方となると、求められていないのに英語でしゃべろうとするのでしょうか。(発音が良いと褒められてちょっと嬉しくなっている自分が恥ずかしい。)
ここから先は、お互いに日本語でのやり取りとなります。(それでも時折英語の単語を挟み込もうとする自分がいます。彼のお名前はRさんです。)
Rさん:「神様の存在を信じますか?」
私:「神様godなる唯一無二の存在があるのかは分かりません。Rさんが言うところの神様が心の支えであるとするならば、私の心の支えは複数のもの:つまり、両親parentsと家族family、これまでの人生で私を支えてくれたすべての人々、共感できる文化cultureや価値観などですね。そういう意味ではこれらのものすべてが私にとっての神様だと信じています。」
Rさん:「そうですか… …。人は死んだ後にどうなると思いますか?」
私:「無nothingになると思います。
いや、正確に言えば、地球や宇宙を構成する物質の一部になるとでも言えるのでしょうか。
個体としての体は無になりますから、話をすることも見ることも聞くこともできませんが、全宇宙のほんの一部…part of Universeになるのかと考えています。」
Rさん::「そう、ですか……。
神は大地や生命など万物を創造したと聖書に書かれています。(聖書を差し出す)
もし、生きている間に神様に会えるとしたら、何をかなえてほしいですか?」
私:「う~ん、望みをかなえてもらうという感覚はないですね。
この世は太陽などの天体の動き、地球上の自然の営み、そこに暮らす人々の多様な気が複雑に絡み合って流れを作り出しています。もちろんそこには、人が発する悪い気の流れも含まれていますから、理不尽なこと、悲しい出来事も起こります。しかし人間が個別の力でなんとかできるものではありません。
逆らえない流れの中で日々一生懸命かつ誠実に生きようとするしかない。だから望みはかなえてもらうものではないと考えています。」
Rさん:「そう…ですか……。お話聞いてくれてありがとうございました。」
私:「いえ、こちらこそ。ありがとうございます。」
若いころには、「布教団体の若者に何かを買わされるのではないだろうか? どこかに連れていかれたらどうしよう」とドキドキしていましたが、歳を重ねるとは屁理屈をこねるおっさんになることだと思いました。
なんとも自分は面倒臭い奴だ。