理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

学校あるある―本当にそれでいいんですか?(多数決編)―

一般国民にとって“どこ吹く風”程度の関心かもしれませんが、どこぞの偉い人を決める話がメディアで騒々しい。誰が誰に投票する(した)とか、派閥間の駆け引きによる票数の行方がどうとか、ランキング的な関心が報道の見出しを飾っています。どこぞの偉い人が国の首長に指名された後には、まもなく衆議院議員選挙も行われます。

 

 

選挙だけでない、身の回りにあふれる集団意思決定の機会

 

選挙といえば、公民の授業で誰もが一度は選挙制度の話を耳にしたことがあるのではないでしょうか。衆議院議員選挙では現在、小選挙区比例代表並立制が採用されています。ちなみに私が小中学生の頃は中選挙区制と習いました。

受験生諸君は、小選挙区制と大(中)選挙区制と比例代表制のメリットとデメリットを頻出ポイントとして暗記しなければなりません。

 

でも、本当にこれらを暗記学習で通過させていいのでしょうか。

選挙制度を公民で学ぶ意味は、将来の有権者を育てるためだけだけでなく、集団意思決定のプロセスを考えられる大人になるためでもあります。

 

私たちが集団で意思を決定する場面は、議員選挙に限らず日常生活にあふれています。会社・町内会・学校などにおいて、計画案の選択や規則の変更制定から係決めまで、ありとあらゆる事柄を意思決定する場面に私たちは遭遇します。

ただし、集団意思決定は一筋縄ではいきません。選ぶ人たちの年齢・性別・生活環境などの背景はもちろんのこと、思想・感情などの個性も千差万別だからです。そこで多くの場面において、何かを選び決める方法として多数決の原理が用いられます。

 

 

学校での集団意思決定の機会を学びのチャンスに

 

学生の皆さんにとって身近な集団意思決定の機会は学校生活や部活動にあります。例えば、生徒会選挙はもちろん、係や担当決めや学校祭の出し物の選択など、枚挙に暇がありません。そして集団で何かを選択する際には、その多くが多数決で決定されているのではないでしょうか。

多数決のメリットは、即座に決定できる点にあります。その一方で同じような顔ぶれがいつも選ばれてしまうデメリットも発生します。精神面が発達段階にある小中学生であれば、こうした傾向は強く現れるでしょう。

 

しっかり者と皆に認識され、目立つことを厭わないタイプの生徒が積極的に手を挙げるでしょう。

子どもたちは、表面的な人物像(キャラ)のイメージが固定化されやすい世界を生きています。立候補した生徒の気持ちや適性能力を鑑みて投票することはありません。個人的な好き嫌いとグループ間の力関係(学校カースト的な階層がつくられやすい)が投票結果を左右します。結局は単なる人気投票に陥るわけです。年齢的に考えれば当然のことです。多くの子どもたちは深く観察して考える習慣もその力も未だ身についていないからです。

 

そこで教育現場の方々に提案があります。多数決を廃して、ディスカッションによる集団意思決定を行わせてはいかがでしょうか。

学級の小さな係決めの機会であっても、子どもたちに集団意思決定のプロセスを考えさせる教材としての価値があります。ディスカッションにより検討させる方法は時間を要し、困難を伴いますが、それゆえ多面的に物事を捉え考えさせる訓練の場となります。多数決は必ずしも適切な判断や反映結果にならないことを子どもたちは肌で感じられるかもしれません。

さらに、少数意見とのバランスの取り方について検討を重ねると、子どもたちの想像力と思考力はぐんぐん伸びるでしょう。子どもたちがディスカッションを重ねることができるように、先生方には子どもたちへのアドバイスと軌道修正の役回りを期待します。

 

 

服装の自由化をめぐる高校生の取り組み

 

長良川のほど近く、金華山を望む岐阜市北部に位置する岐阜県立岐阜北高校は県下有数の進学校として知られています。

コロナ禍における衣服の衛生事情やジェンダーレス問題の高まりを受けて、岐阜北高校では服装の自由化について学校・保護者・地域と共に生徒会主導で現在議論が重ねられています。

今年の2月には、2週間の服装自由期間が試験的に実施されました。

試行期間後の全校生徒アンケートでは、多数の生徒が服装の自由化に賛成の意見を示しました。このまま私服登校への道を開くかと思いきや、生徒会は反対に投じた生徒の意見や学校保護者の意見にも耳を傾けています。反対意見の理由には、『経済的に洋服を買いそろえられない』・『私服であることから登下校時の安全が損なわれる』との声があがっています。

生徒会長を務める女子生徒は『多数の意見だけを尊重して決定してよいのか。一方で少数の意見ばかりを重視するわけにもいかない。制服の存在意義を全校で考え続けながら、できるだけ多数意見と少数意見との接点を見出す必要がある。』として議論の1年間継続を決定しました。

 

 

多数決は正義なのか―多数決が生徒の成長の機会を奪う―

 

先日、公民の授業を行っていた際に多数決を考えさせる問題を扱いました。

 

問題は、卒業生の送別会で歌う曲をクラスで決める話題から作成されています。

3種類の候補曲A・B・Cから1曲をクラス全員の投票により決定します。投票方法は2つあり、1つ目の方法では各生徒が1曲のみを投票し、最も多く票数を獲得した曲を選びます。一方、2つ目の方法では各生徒が1~3位まで順位をつけて投票し、順位ごとの係数と得票数とを乗じた得点数から曲を選びます。

1つ目の方法で選ばれる曲と2つ目の方法で選ばれる曲が異なる結果となることを考えさせる内容となっています。

 

問題の正解を獲得する側面だけで言えば、表と問題文とを注意深く読み取れば正解に辿り着けるわけです。しかし出題者の意図としては、選挙制度の利点と欠点を理解し、多数決の原理の本質を考えられているかを受験生に問うているのではないでしょうか。

多数決の危ういところは、少数意見がかき消されてしまう点にあります。加えて、多数決が正義だとする論理を生みやすく、一様なものの考え方が場の空気を支配してしまいます。多数決が正義になれば、自由な意見を挙げづらくなるばかりか、周囲の顔色を窺いものごとを深く考えない人が増えてしまいます。

 

話し合う議題の本質はどこにあるのか。私たちはいつしか議題の本質を忘れ、従来のカタチだけを踏襲してしまうようになっていませんか。今までずっと続いてきたから、みんな同じだから、不公平不平等は許せない、との理屈がまかり通っていませんか。

思考停止な大人を増やさないためにも、教育現場は安直な多数決やくじ引きに頼ることなく、集団意思決定の機会を議論の場に活用する必要があります。そうすることで子どもたちは、話を聞く姿勢を身につけ、考える力と意見を調整する力を学び高められるようになります。

 

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