理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

筆算の定規直線問題から考えるノートの使い方

■筆算の定規直線問題にみる学校現場の慣習

 

『筆算の直線を定規で引かなかったらやり直しを命じられた』福岡の小学5年生に起きたエピソードが新聞に取り上げられ、ネット上で話題になっています。学習の目的と手段とを取り違えている“学校あるある”の典型的な例だと思います。批判の矛先は先生の指導内容に向けられているようですが、教育における慣習に対して疑問を抱かない空気は、子も親も含めて社会全体に蔓延しています。筆算直線主義の先生も小学生だった時に同様な指導を受けてきたのでしょう。

 

私も中学生の頃を思い返すと、毎日提出を義務付けられた数英の課題ノートを"美しく”書くことに注力していました。色ペン・蛍光ペンを駆使してきれいに書きあげると課題を“ちゃんと”こなしたアピールになるのです。きれいに書く⇒先生に評価される⇒内申点へつながる。こんな図式が課題ノートにはありました。しかし、ノートは誰かに見せるためではなく、自分の理解向上のために利用されなければなりません。ちなみに、英語が得意科目だった私にとって理解しきった内容をわざわざ課題ノートに記す必要などなく、課題ノートは作業そのものでした。

 

 

■ノートを作品化させる!?変な指導

 

ノートの取り方・使い方を教えること自体に問題はありません。ノートの基本的な使い方はありますし、小学生ならばマス目や罫線の利用方法を教えてしかるべきです。ただし基本的な使い方を超えては、各生徒がやりやすい方法を見出せば良いのです。「こういう方法もあるよ。」とか「こうするといいよ。」とかいった程度の指導で充分です。勉強の理解を捗らせる上でノートは目的ではなく、手段であるからです。

 

しかし学校現場では、"美しくまとめられたノート=理解が深まる”信仰は根深く、画一的な方法を強要する事例が多く見受けられます。「紙がもったいないから、マス目は隙間なく書きなさい。」・「途中式やメモ書きを消して答えのみを丁寧に書きなさい。」本気ですか?と言いたくなります。資源は大切ですが、節約する場所を間違えていませんか。ノートなんて何冊だって買ってあげるからどんどん書き込みなさい。後述しますが、途中式やメモ書きこそノートの醍醐味ですので、消す作業は時間と消しゴムの無駄です。

 

 

■子供たちよ、マルを目標にしてはいけない

 

ノートをきれいに仕上げる指導が目的化されると、ノートは清書でなければならないという意識が子どもたちに植え付けられます。途中式やメモ書きを極力書かず、書いた内容に間違いがあれば消し、問題を解くことよりも綺麗に見せることに神経を払うようになります。出来上がったノートは字の上手さを除いて皆同じとなり、問題と答えがきれいに並びます。こうなると厄介なのは、答え合わせでバツがつけられた時に間違えた答えを消してからやり直す癖がつくことです。バツはノートの秩序を乱すから排除する。そんな意識が芽生えてしまうと、頑張ってノートを仕上げた割に学習効果が上がらなくなります。

 

バツには勉強の種がつまっています。バツは、どうして間違えたのか・どこを考え違えたのか・自らの弱点はどこかを知る手がかりです。やり直す時はバツをそのままにして、その横や下にもう一度問題を書いてやり直せばいいのです。そもそも途中式やメモ書きを書き記していなければ間違いの原因も分かりませんが…。子どもたちが、計算問題や漢字の書き取りでバツをつけられることを嫌い、〇マルが並んだノートにしたり顔するようでは本末転倒です。

 

 

■ノートは頭の中に浮かんだ考えの筋道を記すもの

 

ノートとは、答えを導くための筋道を書き留めるために使われるものです。例えば数学の問題では、A=B・B=CゆえにA=Cという三段論法のように、解答に辿り着くまでの論理が求められます。問題から与えられた情報を図や表に落として頭の中を整理する。考えた論理を式と言葉で理路整然と組み立てる。そこで頭の中に浮かんだ考えを視覚化させる道具がノートです。したがって、ノートを清書のように仕上げる必要はありません。どんどん書いて考えが行き詰ったら次のページから仕切り直せばいい。極論を言えば、ノートは自分だけが理解できれば良いものでもあります。

 

耳にした話では、東大生が書くノートは汚いものが多く、“清書ノート”とは程遠いとか。(私はきれいに書いてますという東大生には失敬…。)つまり東大生は、問題を解くにあたり筋道を立てて考える習慣が身についており、勉強とノートの使い方における本質を理解していると言えます。

 

多くの小中学生は、一問一答的な問題を好む一方で、算数の文章題や数学の証明問題になると手も足も出なくなります。現場に立つ先生なら誰でも実感しているでしょう。こうした実態もノートを美しく書く指導が手段ではなく目的と化した弊害なのかもしれません。ノートとは何のために使うのか、ノートは頭の中の軌跡であると小中学生の頃から教えていけば、考える習慣が身についてくるのではないでしょうか。

 

 

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