理科塾から望む教育コラム

教育、世相、人と街…、肌で感じた小さな発見と疑問について軽い頭を絞りながら綴ります。

もしも理系脳だらけの世の中になったら?

本年度から大学入試共通テストが始まります。物議を醸した、民間英語試験の導入と数学および国語への記述式問題の採用とが見送られ、これまでのセンターテストとの間に大きな相違点は見受けられません。

 

ただ、これを機に大学入試のあり方について、私立大学を含め見直す動きが起きています。

 

早稲田大学は、政治経済学部をはじめとする3学部で大学入試共通テストを必須とします。早稲田大学のこの判断において受験生が特に気になる点は、政経学部に数学が必須化されることです。

 

また、京都府立大学文学部は、これまで数学と理科を除く3教科でセンター試験を実施していましたが、今年度から数学と理科を必須化します。(二次試験となる個別学力検査では従来通り国語・外国語・社会科の3教科に変わりありません。)

 

こうした文系学部における理数教科の必須化の動きは、理系的な発想力や論理力を求める世間のニーズを意識したものでもあります。年明けの入試で両校の志願者数にどのような変化が見られるのか、入試関係者も目が離せないでしょう。

 

 

■誰もが理系脳を持たなければならないのか

 

理系的な発想力や論理力は俗に理系脳と呼ばれ、効率性を第一とする時世において持てはやされています。理系的なものの捉え方とは、数値に基づいた判断や筋道の通った考え方を指します。理系的な発想力や考え方は合理的かつ効率的です。理系脳は、特に仕事上のシーンにおいて説得力を増すため、役に立つでしょう。昨今は、リーダーが持つべき能力としても取り沙汰されています。

 

私は、理科実験をウリにしている塾を運営しています。先に述べた文系学部入試の理系化をはじめ、理系脳を重宝する世の中の風潮を喜ぶべきかもしれません。しかし、理系的な発想ばかりを持てはやす風潮がエスカレートすれば、それは世の中の発展にとってパラドックスになるのではないかと危惧しています。

 

社会は、様々な人の想いや利益が複雑に交錯して作り上げられています。人の考えや心は論理的なようで論理的ではありません。したがって、社会の課題を解決する上で理系脳は役に立ちますが、万能ではありません。

 

ところが、理系脳を妄信しすぎる人は何事も正確に緻密に理屈をあてはめて判断しようとする傾向が強くなります。理屈に合わないものを否定したり排除したりする流れができると、物事を捉える目は一つの価値基準に集約されてしまいます。皆が同じ考え方や発想になってしまい、論理的な正しさの中でどこか息苦しさを感じる世の中になってしまうでしょう。そうした世の中では、新しい価値観や発明が生まれにくくなります。

 

人は感情やそれに基づく真理に生きる生き物でもあります。小説や詩や俳句といった文学・生命や真理を探究する哲学も私たちがどこからやって来てどこへ向かうのかを解き明かしてくれる学問です。データなどの根拠に基づく発想力や論理力も必要だけれど、抒情的な発想力や感性も社会を健全に保ち、発展させる上で欠かせません。

 

 

ダイバーシティ社会を実現するには

 

ダイバーシティとは日本語で多様性を意味します。多種多様なバックグラウンドを有する人が集まり、多様なものの見方や考え方が交錯しながら問題を解決できる社会、すなわち、これがダイバーシティ社会の目指す姿です。

 

理系学問を修めてきた人は数字の捉え方が奥深く、事実から正確な推理と解釈を行えます。文系学問を修めてきた人は行間に潜む情報を想像し、思慮を重ねられます。(※理系文系と分類する考え方は受験の産物であり、これからの時代にそぐわないと個人的に思っています。)人の能力は凸凹のある方が面白い。それぞれの専門性や得意を生かし、お互いを助け合い補え合えば、時代を創り続けられるはずです。

 

京都府立大学の入試担当者の言葉を借りれば、理数科目の必須化は「これからは『文系だから理系のことは分からなくてもいい』という時代ではない。専門として扱わないかもしれないが、理系的な発想や考え方は必要だ」という理由からだそうです。

 

これからの時代に必要とされる力は、あらゆる事柄に好奇心を持ち、疑問を抱く心を持ち、周囲の情報に惑わされず、分からない事は自分の目で見て調べ、判断と行動をすることです。こうした力を持つ人が増えれば、固定概念にとらわれない新しい発想と寛容さを生み出せる社会を実現できるはずです。だとすれば、理科と数学の知識がない文系の人だからこうした力を育めないといえるのか甚だ疑問です。

 

 

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